【佐賀】肥前名護屋城で歴史の息遣いを感じる

こんにちは。千藤です。

昨年の10月、新婚旅行という名の九州一周旅行を敢行した際に
佐賀県にある「肥前名護屋城」を訪れました。

ここは夫の希望で行き先に決定したスポットでした。
夫は教員免許を取得するほど歴史が好きなのですが、とりわけ戦国時代が大好き。
そんな彼が「ここは!」と言ったお城、名護屋城。
恥ずかしながら私は名護屋城がどんなお城なのか全く知らず、
NO知識で訪れたわけですが…

本当に本当に、とってもよかったです…!ロマンの詰め合わせ!

今回はそんな肥前名護屋城をご紹介します!

肥前名護屋城について

まずはお城についての基本情報を調べてみました。

豊臣秀吉の文禄・慶長の役に際し築かれた巨大な城、名護屋城。
当時の大坂城に次ぐ規模を誇り、全国から160家の戦国大名が集結しました。
世界史にも類を見ない30万人の兵士動員と外征(渡海)作戦。
名護屋城周辺は日本における政治・経済・文化の中心となりました。
現在、名護屋城跡と23箇所の陣跡が国の特別史跡に指定されています。

「肥前名護屋城」http://hizen-nagoya.jp/

160家の戦国大名の中には豊臣秀吉をはじめ徳川家康、伊達政宗、加藤清正、毛利輝元など、
錚々たる武将たちが含まれていたようです。

戦国時代が好きな夫にとっては聖地のようなものですね。
私も歴史は大好きなので、こういう史跡に訪れるのはワクワクします。
浮き足立ちながら早速城内に向かいます。

城内入口

城跡の入口の大手門。すでに雰囲気があります。
写っている道路は国道204号で、とても綺麗に整備されていて走りやすかったです。
この手入れされている感じだけで、佐賀県が名護屋城を推しているのがわかります笑

奥にある大きな建物は名護屋城博物館。
ここも寄りたかったのですが、月曜日だったので休館日でした…
予定を立てていた時から分かってはいたのですが、
目の前にして入れないのはやっぱり悔しかったです…
悔いが残ります。

入場は無料ですが、任意で維持管理協力金100円を払うこともできます。

もちろん支払って受付を抜けると、大きく開けた広場と石垣が迎えてくれます。
記念写真を撮れるベンチが置いてあり、
周りに人がいなかったのでいそいそと三脚を立てて撮影。

よくおじいちゃんとおばあちゃんが撮るやつ。

城内の遺構

広場を抜けると階段があり、登っていくとまた大きな広場が。
ここは「東出丸」と言う場所のようです。
そこから道に沿って進んでいったのですが、

崩れた石垣が乱雑に転がり、隙間を縫うように雑草が生え、大木は縦横無尽に伸び。
「城跡」と言うよりは「廃墟」のような印象を受けました。
これが盛者必衰、諸行無常というものなのでしょうか…しみじみ。

でも確かにそこに営みがあったこともひしひしと感じます。
こういう雰囲気が私の中のエモい感情を引き出していきます。
堪りません。

運動不足の身体に鞭を打って階段を登ります。

東出丸。広いです。

道の両端に崩れた石垣が転がっています。

三ノ丸井戸跡。すっかり茂っていますが…

その下にはしっかりと生活の名残があります。

本丸に繋がる階段。かなり幅が広く、巨城を思わせます。

本丸

本丸は今まで見てきた広場よりも広く、そして眺めも壮観でした。
眼前に広がる玄界灘。
天気が良ければ壱岐や対馬も見えるそうです。

名護屋城はその島々をも越えた先に広がる大陸侵攻を目指し、
朝鮮半島へ兵を送る拠点として豊臣秀吉によって築かれました。
なんと約5ヶ月で築城されたとか。
戦国時代の人々のポテンシャルが恐ろしい。

しかし秀吉の死後に朝鮮半島から兵は撤退、そして役目を終えた名護屋城は廃城。
大阪城に次ぐ規模とまで言われたものの、築城から僅か7年程の短い命でした。

うう…ロマンがすごい…
こういう儚い歴史に弱いです。
この旅で気づいたのですが、私は廃れた城跡のマニアかもしれません…

本丸から玄界灘を望む。

一段高い場所に天守台跡がありました。

たくさんの遺構があるようです。

雑草生い茂る本丸。

ふむ…(しみじみタイム)

終わりに & おまけ

来るまで全然知らなかった名護屋城ですが、訪れることでより深く学べました。

それにしても、歴史上の重要人物がこんなにも関わっているお城なのに
なんであんまり有名じゃないんでしょう。日本史で出てきたかな…?
やっぱり約7年しか役割を果たせなかったからでしょうか。
もっともっと有名になってほしいな〜みんな歴史ロマン感じよう〜

久しぶりに良いお城に出会うことができて嬉しかったです。
ここまで読んでいただきありがとうございました!


おまけ。

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